大沢の天稲荷社社殿

大沢は昔、火鑓村(ひやりむら)とよんだので、通称「火鑓の天稲荷」、「火鑓明神」ともいわれている。当地の高根沢家三戸の氏神様である。
宝暦、明和の頃、(1751~1772)、高根沢氏の祖先で、占術を良くした高根沢センが稲荷様を深く信仰し、社殿を建てたことに起こるという。
社殿は流れ造りの一間社で総欅造りであり、屋根は柿葺きで、覆屋が設けられている。この欅は八溝山から運んだ一木造りの伝承がある。天明6年(1786)の造営であり、小形ながら社殿の周囲は正統派と見られる優秀な彫刻をつけ、彩色はされていないが、稀にみる手のこんだ優秀作である。社殿前には石灯籠が2基あり、明和4年(1767)の銘がある。鈴は寛政3年(1791)の銘がある。これらのことから、この天稲荷社は江戸時代後期の明和・天明・寛政の頃に整備されたとみられる。
社殿に向かって右下には墨で書かれた

天明六年丙午
六月吉日
彫物子
石川幸右衛門
常盈

の文字が見られる。
なお、石灯籠の願主に日光や芦野の人名や講中の名が刻まれており、かつては遠近からの信者で賑わったことをうかがわせる。
当村は、那須湯本と白河方面との湯街道途中にあり、那須入湯の繁盛とともに当社の信仰も盛んになったものと思われる。

名   称 大沢の天稲荷社社殿
所 在 地 那須町大字高久丙2766
種   別 有形文化財/建造物
指   定
指定年月日 昭和36年10月1日