山田資料館

山田資料館が建っている黒田原地区は、現在那須町の中心に位置するが、明治20年代初めまでは木々に覆われた原野であった。明治24年(1891)に山田顕義が官有地であったこの地を借り下げ、開墾事業を始め山田農場を開いた。現在の那須町大字寺子乙、丙、富岡にまたがる地域で総面積111町4反歩余(約110ha)であった。一般では山田農場と呼ばれているが、山田家の人々は黒田原農場と呼んでいたようである。

山田顕義は旧長州藩士で明治維新では大きな功績をあげ、維新後も参議兼工部卿、内務卿、司法大臣等を歴任し伯爵に列せられた人物である。また、日本法律学校(現在の日本大学)、國學院(現在の國學院大學)の創立者としても知られる。顕義は開墾を始めた翌明治25年(1892)11月に49歳で他界してしまうが、没後も久雄(親戚の河上家から入る)、繁栄、(顕義弟)、英夫(顕義の娘婿)、顕貞(英夫長男)、顕喜(顕貞長男)と、その志は遺族によって引き継がれていく。

山田資料館は山田家の意向で農場事務所跡を平成2年(2000)3月から一般公開している。山田家関係者の写真、山田家使用の調度品、山田顕義関係の文敵、山田農場資料等、山田家ゆかりの資料が展示されている。当時の事務所は戦時中は疎開した山田家の住居として、またその後も別荘として使用されてきた。

なお、上の原地区には山田家代々の名を刻んだ謝恩碑が建立され、現在も山田家の人々が訪れ、毎年11月には山田家の遺徳を偲ぶ祖霊祭が行われている。

名   称 山田資料館
所 在 地 那須町大字寺子丙4-2
種   別 有形文化財/建造物
指   定
指定年月日