境の明神(さかいのみょうじん)

旧奥州(おうしゅう)道中の関東最北端明神地区にあり、福島県白河市との境界にある。正式には玉津島神社(たまつしまじんじゃ)という。この社は古くかた峠神として奥州側と関東側にそれぞれまつられていたうちの関東側のものであり、祭神は衣通姫命(そとおりひめのみこと)であるという。

創立については天喜(てんき)元年(1053)の紀州和歌浦の玉津島神社の分霊を勧請(かんじょう)したのが始まりと伝えられている。関東と奥州の境界に接し、現在も二社が並んで建っている。近世になり、東山道(関街道)にかわって奥州街道が本道になると交通も発達し、それとともにこれらの社も発展して多くの旅人の信仰を集めたものと思われる。

松尾芭蕉(まつおばしょう)も元禄(げんろく)2年(1689)4月20日門人曽良(そら)とともにここを通っている。曽良日記には「寄居村有。是ヨリハタ村ヘ行ハ、町ハツレヨリ右ヘ切ル也。関明神ノ関東ノ方ニ一社、奥州ノ方ニ一社、間二十間計有、両方ノ門前ニ茶ヤ有、小坂也。」とあり、社の前を行き交う道中の様子が想像できる。

境内には、文化10年(1813)や安政6年(1859)の石燈籠などが残っている。また明治41年建立の同社の記念碑があり、これによると延享(えんきょう)元年(1744)に大関氏が修復したとあり、また明治39年(1906)には民家の火事にともない社もまた炎上したとある。

明治の時代になって新国道や鉄道が開通すると、それにともない奥州街道の交通量も減り、同社も衰退した。

平成3年12月、拝殿及び附属建築物が氏子によって新築された。

名   称 境の明神(さかいのみょうじん)
所 在 地 那須町大字寄居2242-1
種   別 記念物/史跡
指   定
指定年月日 平成2年3月1日