勝海舟(1823~99)とその書(かつかいしゅう(1823~99)とそのしょ)

勝安房(あわ)ともいい、江戸末期の幕臣であった。幕府海軍伝習所の指導者。万延(まんえん)元年(1860)咸臨丸の船長として、太平洋を横断。江戸城無血開城の際の西郷隆盛との会談は有名。維新後は海軍卿、枢密院顧問などを歴任。

 

明治21年12月10日御殿山中腹に芦野小学校新校舎建築の時、勝海舟より揮毫を受け、渡辺伝校長の時玄関門柱と扁額にした。

「小学校玄関門柱彫刻」

愛惜精神留他日担当宇宙

蹉跎歳月問何時報答君親

(読み方)

精神(せいしん)を愛惜(あいせき)し、他日(たじつ)、宇宙(うちゅう)を担当(たんとう)するに留(とど)めよ

歳月(さいげつ)は蹉蛇(さた)し、何時(いずれ)、君親(くんしん)に報答(ほうとう)するを問(と)わん

(意味)

精神(理性)をいとおしみ大切にし、将来、広い世界にはばたくために心しなさい。

月日はあっという間に流れてしまう。成長し、大人になってから、国家や家族にむくいられるようになっているだろうか。

「扁額」

志在千里 戊子夏日(明治21年・1888)

(読み方)

志(こころざし)、千里(せんり)に在(あ)り

(意味)

目先のことにとらわれないで、目標を高く持って突き進みなさい。

原文は、「老驥状櫪志在千里」(中国魏の曹操の詩)といわれている。

名   称 勝海舟(1823~99)とその書(かつかいしゅう(1823~99)とそのしょ)
所 在 地 那須町大字芦野2893
種   別 有形文化財/書跡
指   定
指定年月日