三十六歌仙板額筥共(さんじゅうろっかせんばんがくはことも))

「三十六歌仙板額筥共」は那須湯本の温泉神社に伝わる宝物の一つである。

この温泉神社は、社伝によると7世紀前半の創立と伝えられている。平安時代の貞観5年(863)「三代実録」、927年頃完成した「延喜式」(神名帳)等の文敵にも登場しており、本県内でも有数の古社である。また、かの「屋島の合戦」で名誉を輝かした「那須の余一宗隆」が祈願をこめた神々の中の「那須のゆぜん大明神」が当社である。

「三十六歌仙板額」は、紀貫之など36人の代表的な歌人の姿絵と和歌が書かれている檜板額で、36枚欠けることなく全部そろっている。大きさは、高さ45.9㎝、幅31.5㎝、厚さ1㎝内外である。

表面には鮮やかな色彩で歌仙を画き、上の空間の部分に和歌が書かれている。画・書とも保存状態がよい。

裏面には寄進の願文や年紀、絵師、和歌の筆者、歌仙の名前と掲げる順番、そして願文の筆者などが書かれている。

これによると那須家25代の当主資晴が京都に行ったおり、子孫の武運長久と繁栄を願って買い求めて那須の温泉神社に奉納したものとある。また、絵は京都の絵師、和歌の書は近衛大将、願文の筆者は佐良土の法輪寺(光丸山)(こうまるさん)の弁海大和尚によるものとある。寄進された年紀は慶長15年(1610)とある。

寄進者の那須資晴は、那須家総領で烏山8万石の城主であった。戦国時代末期、那須七騎とともに活躍した豪の者であったが、天正18年(1590)秀吉の小田原攻めに参加しなかったため烏山8万石を没収され佐良土の小居館に移った。

この板額には、このような状況にあった資晴の願いが込められているものと思われる。

なお、これらの板額は延宝6年(1678)に黒羽の21代城主大関増栄が寄進した筥に納められてある。

名   称 三十六歌仙板額筥共(さんじゅうろっかせんばんがくはことも))
所 在 地 那須町大字湯本182
種   別 有形文化財/絵画
指   定
指定年月日 昭和53年4月1日