伊王野氏山城跡(いおうのしやましろあと)

山城跡は、伊王野小学校や伊王野町並の北の背後に位置している。この城域は、全体で約20haにも及んで三蔵(さんぞう)川・奈良川・根岸(ねぎし)川の合流地点内側に、北から南に続く丘陵を利用して造られている。「霞(かすみ)ヶ城」「伊王野城」の別名もあり、地元では「城山(しろやま)」とも呼んでいる。

伊王野氏は、鎌倉時代の初期に初代資長(すけなが)が現在の伊王野小学校の地に居館(きょかん)を構えて以来、12代資保(すけやす)がここを拠点としていた。室町時代後期に世の中の乱れてきた長享元年(1487)13代資清(すけきよ)のころに、前の居館からこの山城に移ったといわれる。資清の代より寛永(かんえい)4年(1627)の22代資友(すけとも)まで、およそ150年間にわたって伊王野氏歴代の居館であった。

この城は、幾重にも空堀(からぼり)を設けたり、土手を削って平場にして自然と人工を上手に組み合わせている。「遠見(とおみ)の郭」(通称トビノクラ)は標高370mで最も高く、軍事・交通等の要所に位置している。特に近隣の大関・大田原氏の台頭以前は芦野氏とともに北那須地方の中心的な城であった。

現在に残る絵図等が無く、廃城以来長い年月経過で城の各部名所はほとんど忘れつつあるが、本丸・二の丸・三の丸などの地名が残り、僅かに住年を偲ぶことができる。城の構えは、伊王野小学校裏手が大手門あたり山道を登ると郭が段々につながり、尾根伝いに遠見の郭に至っている。

名   称 伊王野氏山城跡(いおうのしやましろあと)
所 在 地 那須町大字伊王野1970他
種   別 記念物/史跡
指   定
指定年月日 昭和37年10月15日