芦野氏旧墳墓(あしのしきゅうふんぼ)

国道294号線沿いで、上野町と唐木田の中間、山林中腹にある。館山城跡、熊野堂の芦野氏居館跡や那須連峰などを望み、当地域における中世以来の領主の墓として代表的な古墓ということができる。

南北朝時代の芦野氏の祖資方(すけかた)から、江戸時代前期の18代資泰(すけやす)の頃までの墓域であると伝えられている。五輪塔数基・自然石碑・笠付位牌形など種々の形式がみられ、ほかに五輪塔の残欠も認められる。本墓の頃の菩提寺は最勝院であった。

銘文の明らかなものは江戸時代のものである。寛永19年(1642)白露院殿(はくろいんでん)塔(資泰妾資俊実母)、正保3年(1646)の耀山法照居士(ようざんほうしょうこじ)塔(資泰)、同年銘の月咬院殿(げっこういんでん)五輪塔(資泰妻)、延宝3年(1675)の昌寿院(しょうじゅいん)塔(資俊母)などである。資泰は大阪冬の陣(1614)、夏の陣(1615)に出陣しており、将軍徳川秀忠の上洛にも2度お供している。

名   称 芦野氏旧墳墓(あしのしきゅうふんぼ)
所 在 地 那須町大字芦野字若林1069-3
種   別 記念物/史跡
指   定
指定年月日 昭和36年10月1日