堂平仏堂跡および茶畑上代集落跡(どうだいらぶつどうあとおよびちゃばたけじょうだいしゅうらくあと)

伊王野地区の東岩崎堰の上の山林で、通称、堂平と呼ばれる地点の仏道遺跡とその隣接地にある古代の集落跡をいう。

大正末期、この地を開墾した際、地下60㎝から礎石が整然と配置された仏道風の遺構が発見された。須彌檀(しゅみだん)跡と思われる地点からは、金銅薬師如来座像(こんどうやくしにょらいざぞう)が出土した。この座像は、高さ15.3㎝、肩幅8.0㎝、座幅12.7㎝で鉄製の長方形台座にのり、百済(くだら)様式で一度火にあった形跡がある。また、この遺構内外から土師器(はじき)、須恵器(すえき)が出土し、釘や鉄の塊なども発見された。

さらに昭和13年春、これより50m西の丘陵中腹の茶畑から、やはり百済様式の銅製誕生釈迦立像(どうせいたんじょうしゃかりつぞう)(高さ8.2㎝)が出土した。

これらのことから、この仏堂跡は、奈良時代以前に建立され、いつの世にか火災によって消滅してしまったことなどが考えられる。

しかし、この遺跡、遺物の歴史的意義は大きい。すなわち、日本書紀にある新羅人(しらぎじん)を下野の地に住まわせたこととも考え合わせると、東岩崎の地は、7世紀後半にすでに大陸とつながりを持った地域であり、先進的な技術や知識を持った渡来人が種々の理由でこの地に住み着いたものと思われる。

本遺跡は、大陸文化とのつながりを示す本町における最古の歴史的シンボルである。

名   称 堂平仏堂跡および茶畑上代集落跡(どうだいらぶつどうあとおよびちゃばたけじょうだいしゅうらくあと)
所 在 地 那須町大字東岩崎487他
種   別 記念物/史跡
指   定
指定年月日 昭和35年10月15日