追の窪晩期縄文式遺跡(おいのぼばんきじょうもんしきいせき)

この遺跡は寄居(よりい)の集落の北東のはずれで、豆沢(ずさわ)街道入口と沢川に囲まれたところにある。標高は約330mで、平地との差は10~20mあり遺跡の面積は約1haある。

この遺跡は、古くは昭和13年(1938)頃より確認されていて、表面の観察は数回にわたって実施されてきた。昭和29年(1954)には本格的な発掘が行われて、数々の遺物が掘り出されたが住居跡などの遺構の発見はなかった。

発掘された遺物の主なものには、石鏃(せきぞく)・石器・石錘(せきすい)・磨製石斧(せきふ)・打製石斧・石錘(せきすい)・石匕(せきひ)・石剣等があって多種にわたっている。土器はこの遺跡では最古の型式の「安行(あんぎょう)Ⅱ式」をはじめとして「大洞(おおほら)A式」、「大洞A’式」土器など、縄文晩期(約3000年前)のものを中心に多数発掘された。この遺跡は、縄文時代末の人々の生活を知るうえで貴重な遺跡といえる。

名   称 追の窪晩期縄文式遺跡(おいのぼばんきじょうもんしきいせき)
所 在 地 那須町大字寄居1170他
種   別 記念物/史跡
指   定
指定年月日 昭和47年7月15日