沼野井氏居館跡

伊王野沼野井本郷のやや中央に「堀之内」という小字名がある。沼井氏の拠点で居館があったと伝えられ、また実際に居館の若干の形跡が残っている。

ここは、一帯の水田よりは一段高い余笹川西岸の丘陵で、谷を望む突端を占めている。

居館の主人公である沼井氏は、姓が「沼の上」→「沼野井」→「沼井」と転訛する。同氏の興りについては二説あり、一つは沼野井温泉神社蔵の「神号軸」による、久寿2年(1155)夏に鹿子畑から移り住んだという説と、もう一つは、同社蔵「八大龍神縁起」による鎌倉時代初期、那須家家臣須藤源蔵が沼野井に土地を領して沼井氏が起こったという説である。二説の内、どちらかを採るべきかは判然としていない。

また、文敵上では永正年間(1504~1521)の上那須氏内紛の頃から登場する。

地名の「沼野井」と姓の「沼井」は、語の原形が「沼の上」で、同一のものから分化したものであり、語原通り「沼の上の集落」を意味する。一帯の水田は、かつて湿地で住居に適さず、丘陵に居館を構えたものと思われ、今は塁濠の痕跡をわずかに残す程度であるが、ここに沼井氏が存したことを伝えている。また、付近には「じんしろ」と呼ばれている地点があり、「勘四郎屋敷」の略かとも言われているが、沼井氏の要害「陣城」であると考えられる。

名   称 沼野井氏居館跡
所 在 地 那須町大字沼野井1050他
種   別 記念物/史跡
指   定
指定年月日