観音坂の磨崖仏

国道294号線(旧奥州街道)を芦野から北へ7㎞程行くと、寄居という集落がある。その寄居の手前500m位のところに昔から観音坂と呼ばれている切り通しの坂がある。何回かの道路改良工事により今は坂道らしくなくなってしまっている。

その坂道の頂上付近から東側の山の中へ50m位入っていくと、うっそうとした竹林に囲まれて露出した大きな岩山が立ちはだかっている。その岩山の基部に磨崖碑がある。光背を舟形に彫り込み、その上部には一尊種子キリーク(千手か如意輪観音)を刻み、右側下方に西蓮とあるが記念銘は見当たらない。大きさは高さ127㎝、幅60㎝程である。この磨崖碑の上方約5m位のところに磨崖仏が陰刻されている。坐像で坊主頭、衲衣を身につけ合掌印を結んでいる。かなり風化が進み、像容の判読が難しい状態である。仏像の大きさは高さ55㎝、幅60㎝である。この仏像と一体となって二つの種子と一つの五輪塔が陰刻されている。仏像は如来でも菩薩でもなく、像容から見ると高僧か修行僧のようでもある。

磨崖碑は昔から知られているが、磨崖仏は近年までその存在は知られていなかった。

この磨崖碑と磨崖仏は同一人により同一時代に彫られたのだろうか。しかし、風化の進み具合から見ると磨崖仏の方が古いと思われる。

いずれにせよ岩面に記念銘はなく、何時頃誰によって彫られたものか知るよしもない。

中世から近世にかけ修業僧が修業のために、あるいは自らの信仰心を高めるために全国各地の山の中に磨崖仏を造ったと伝えられている。

奥州街道中分間延絵図(文化年間)には「観音坂」「観音」「観音山」等と図示されている。

これらのことを考え合わせると江戸時代には既に存在していたと云うべきだろう。

名   称 観音坂の磨崖仏
所 在 地 那須町大字寄居
種   別 有形民族文化財
指   定
指定年月日