絹本墨書 聖天掛軸(けんぽんぼくしょ しょうてんかけじゅく)

芦野の真言宗寺院である台明山明星院三光寺は、日本三所聖天の一つと称される聖天の守護寺である。芦野の聖天様として、その名が知られている。同寺の創建・開基、現在地への移転などについては不詳である。また、聖天の縁起その他も詳らかではないが、寺は弘治年間(1555~58)、戦国時代後期頃宥徳上人の中興開山と伝えられているが、寺所蔵文書によると応永年間(1394~1428)に遡ることができるという。

平成17年8月には600年ぶりに秘仏聖天の御開帳が行われた。

この寺に、江戸幕府の老中首座となった松平定信の筆による「聖天」の文字が絹本に墨書された縦41㎝、幅80㎝大のものである。「文化八年辛末九月七日壬午書之」とあり、「従四位下左定信」と位置書が割書きで記されている。

文化八年(1811)は定信が老中職を退いた(寛政5年・1793)後のことである。

位置書や割書き、添書などにより、定信の筆によることは明らかであり、当時の当主芦野資勝(中務のち弾正)の時代(1810~37)に、芦野家が依頼し、奉納されたものとみられる。実質、依頼・奉納を担当したのは添書に記された芦野家家臣山田軍記、平久江冠司、平久江寛八郎であると考えられる。3名とも同時代に家中分限帳に記載されている人物である。

松平定信は老中職就任にあたって強い決意が聖天信仰へと結びついたことは広く知られたことである。

日本三所聖天の一つとして現在も知られる芦野の聖天様の歴史と民間信仰を物語る資料である。

名   称 絹本墨書 聖天掛軸(けんぽんぼくしょ しょうてんかけじゅく)
所 在 地 那須町大字芦野2836-1
種   別 有形文化財/書跡
指   定
指定年月日 平成14年4月24日