追分の明神 住吉玉津島神社(おいわけのみょうじん  すみよしたまつしまじんじゃ)

旧東山道(とうさんどう)の関東最北端追分地区にあり、福島県白河市と境をなす峠上にある。このため「境(さかい)の明神(みょうじん)」ともいわれている。かつては、両県にまたがって二つの社があったと言われているが、現在は関東側だけにあり、そのため「関東宮(かんとうぐう)」とも呼ばれている。

地元では「住吉玉津島神社」と呼んでいるが、これは住吉神社と玉津島神社の二社があわさったためと思われる。祭神は住吉の中筒男命(なかつつのおのみこと)と玉津島の衣通姫命(そとおりひめのみこと)である。どちらかの県がどちらかの神であったか明らかではないが、地元の祭の旛(はた)には「玉津島」とだけあり、栃木県側には玉津島神社が、福島県側には住吉神社があったとも考えられる。

古い歴史を持つ峠神(とうげしん)であり、江戸時代の「下野国野州(しもつけのくにやしゅう) 陸奥国奥州(むつのくにおうしゅう) 境神社旧記(さかいじんじゃきゅうき)」によると、坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)が延暦(えんりゃく)10年(791)蝦夷征伐(えぞせいばつ)の途中ここで休息したとき、白髪の翁(中筒男命)が現れ、田村麻呂と問答したという。田村麻呂はこのためここに祠を建て、中筒男命や衣通姫命を祀(まつ)ったとある。

ここは関東と奥羽境の峠にあり、道中安全を祈願する人々の信仰をあつめて栄えたものと思われる。近世になってからは奥州道中が本道となりここは脇街道となるので、それにしたがってこの峠神も衰退していったものと思われる。

社前には二つの石燈籠があり、寛文(かんぶん)7年(1667)と同9年(1669)の銘がある。追分村の井上源右衛門が寄進したもので製作がしっかりしており、この期の代表的な石燈籠である。

名   称 追分の明神 住吉玉津島神社(おいわけのみょうじん  すみよしたまつしまじんじゃ)
所 在 地 那須町大字簑沢1352
種   別 記念物/史跡
指   定
指定年月日 平成2年3月1日