金銅勢至菩薩立像(こんどうせいしぼさつりゅうぞう)

伊王野時宗專称寺の本尊である金銅阿弥陀如来立像の脇侍(わきじ)で、善光寺式と呼ばれる一光三尊(いっこうさんぞん)(一つの光背に三体の仏像)のうちの一体で、金銅製の勢至菩薩立像である。この形式のものは鎌倉から室町時代にかけて流行し、浄土教系の宗教と結びついて制作されたという。本仏像は鎌倉期の中ごろ制作されたものである。

本仏像の顔はなごやかで美しく慈悲に充ちている。高さは33.7㎝あり、両腕を消失している。

背銘があり、内容は本尊のものとほとんど同じであるが、所在地である「伊王野郷」の「郷」の一字だけ省略されて記されていない。

この背銘により、制作依頼者は伊王野氏の祖先の「左衛門尉 藤原資長」(さえもんのじょう ふじわらのすけなが)であること、制作者は「藤原光高」(ふじわらみつたか)という仏師であること、所在地は「下野国北条郡那須庄伊王野」(しもつけくにほうじょうぐんなすのしょういおうの)と呼ばれていたこと、また制作は「文永4年5月」(1267)であることが明らかになっている。

專称寺の歴史はこの仏像とともに始まり、長く伊王野の菩提寺であった。この仏像は江戸時代のころ盗難にあい、昭和30年東京で発見され数百年ぶりで伊王野の地に戻った。もう一つの脇侍、観音菩薩立像の行方はいまだに判らない。

名   称 金銅勢至菩薩立像(こんどうせいしぼさつりゅうぞう)
所 在 地 那須町大字伊王野1622(専称寺)
種   別 有形文化財/彫刻
指   定
指定年月日 昭和32年2月15日