青銅製鰐口(せいどうせいわぐち))

鰐口とは、社寺の正面に下げられている円形状の鳴物である。この真言宗智山派補陀落山正福寺に伝わる鰐口は、青銅製で直径23.6㎝、厚さは肩部で5㎝、唇部で4.3㎝、重さは3.5㎏である。銘があり次のように刻まれている。

(上部より右回りに)

敬白新熊野鰐口 下野国那須上荘 伊王野

丹渡度 本願 栄尊

(上部より左回りに)

大旦那熊窪八郎 大工彦太郎 応永六年

巳卯九月九日

 

これによると、この鰐口の神社は「新熊野」(しんくまの)であったこと、当時那須地方は、上荘・下荘に分かれていたことや所在地は伊王野の「丹渡戸」(まわたど)(現在の釈迦堂丘陵の南側、三蔵川右岸で、かつて「まざと」と呼ばれた地域と考えられている。)であり、製作発起人は「栄尊」(えいそん)という当時の正福寺の住職と考えられる人である事などがわかる。大旦那の「熊窪八郎」(くまくぼはちろう)は、現那須塩原市熊久保出身の土豪(どごう)で伊王野氏の重臣であったと考えられ、製作するにあたって後援者となっている。応永6年(1399)大工「彦太郎」によって製作された。

熊野社があった丹渡戸の後背地に釈迦堂山があるが、正福寺はここに、弘仁4年(813)、徳一法師(法相宗)によって開かれたと伝えられている。そして長享(ちょうきょう)元年(1487)ころ、現伊王野小学校の校地にあたる場所に移転するまで600数十年この地にあったと考えられている。

この鰐口は、熊野社が正福寺の境内社であった頃のもので、歴史資料として大変重要である。

名   称 青銅製鰐口(せいどうせいわぐち))
所 在 地 那須町大字伊王野2003(正福寺)
種   別 有形文化財/工芸
指   定
指定年月日 平成2年5月15日