芭蕉懐紙と高久本曾良日記(ばしょうかいしとたかくぼんそらにっき)

奥の細道紀行の途次の元禄2年(1689)4月に那須町を訪れた芭蕉と曾良は、16日に大田原市の余瀬を発ち、野間を経て高久で二泊する。

高久のことは紀行文には記載がなく、曾良の随行日記によると

……高久二至ル 雨降リ出ニ依滞ル 批間壱里半余 宿角左衛門 図書より状被添

一十七日 角左衛門方ニ猶宿 雨降 野間

ハ太田原より三里之内 鍋掛より五六丁西

一十八日 卯剋 地震ス 辰ノ上 剋雨止

午ノ剋高久角左衛門宿ヲ立

とあり、高久角左衛門方に宿泊したことがわかる。このとき芭蕉と曾良が連句し、懐紙に認めたものが「芭蕉懐紙」として高久家に伝えられている。

みちのく一見乃桑門同行二人

那須乃篠原を多つ年て殺生石ミむとて

急き侍る程尓あ免降り出介れ者

此登ころ尓とゝま利候

風 羅 坊

落くるや多かくの宿能郭公

木の問越のそく短夜の雨

曾 良

懐紙は前文4行に芭蕉と曾良の連句の形式をとっている。

また、高久家には曾良日記の抄本が所蔵されている。

文化12年(1815)に写されたもので4月1日の日光から21日の矢吹までのもので表題は「曾良陸奥日記抄出」とあり、末尾に「右日記信州諏訪高嶋曾良俗縁ノ子孫コレヲ所持スト云」の断り書きがある。「可郡良主人」がこれを写した。

曾良日記は、高久本のほかに人見本曾良日記がある。人見本は嘉永5年(1852)であるが、それより38年前の写本である。

名   称 芭蕉懐紙と高久本曾良日記(ばしょうかいしとたかくぼんそらにっき)
所 在 地 那須町大字高久甲878
種   別 有形文化財/書跡
指   定
指定年月日