官修墳墓(かんしゅうふんぼ)
慶応4年(1868年)1月3日、京都の鳥羽、伏見で始まった戊辰戦争は、東征する新政府軍と後退する旧幕府軍の間で、各地において激戦が続き、那須地域では、大田原、関谷、塩原、塩野崎、板室、小屋(池田)、三斗小屋、片府田・佐良土等で、また近辺では白河、旗宿、棚倉、会津若松等で戦闘が行われた。
那須町域からは、新政府軍に与した黒羽藩の農兵(峰岸館、寺子館、迯室館、松子館、郷筒隊)、軍夫として、同じく芦野氏の兵士、軍夫として多くの者が戦闘に参加した。その際、不幸にも負傷、戦死した農兵、軍夫があった。
新政府軍側の戦死者については、官修墳墓として立派に1区画の墓地が与えられるなど手篤く葬られた。また、国の官修墳墓明細帳に掲載された。
しかし、近年、墓地の改修などにより、官修墳墓の体裁が失われ、墓碑さえ分かりにくくなってきている。
官修墳墓(官修墳墓の体裁を残している)
氏名 | 身分 | 戦死年月日 | 年齢 | 戦死(負傷)地 | 墓地 | |
1 | 後藤勇助(幸義) | 峰岸館農兵 | 慶応4・6・8 | 53 | 白坂(5・26) | 蓑沢 |
2 | 井上鉄次郎(久武) | 峰岸館農兵 | 慶応4・8・26 | 18 | 会津下郷 | 峰岸 |
3 | 渡邊慶次郎(忠次) | 峰岸館農兵 | 慶応4・9・3 | 21 | 会津本郷 | 高瀬 |
4 | 池沢治右衛門(貞友) | 黒羽藩軍夫 | 慶応4・9・5 | 43 | 会津若松 | 中重 |
5 | 深沢長兵衛(峰村) | 黒羽藩軍夫 | 慶応4・9・5 | 33 | 会津若松 | 峰岸 |
6 | 八木沢巳之助(村芳) | 迯室館農兵 | 慶応4・9・5 | 20 | 会津若松 | 柏沼 |
7 | 菊池藤右衛門(春宗) | 黒羽藩軍夫 | 慶応4・9・8 | 61 | 会津飯寺 | 室野井 |
改修された墓(官修墳墓の体裁がういなわれている)
氏名 | 身分 | 戦死年月日 | 年齢 | 戦死(負傷)地 | 墓地 | |
1 | 平山忠蔵(高知) | 黒羽藩軍夫 | 慶応4・5・1 | 55 | 白河 | 小島 |
2 | 秋元常七(正章) | 松子館農兵 | 慶応4・8・27 | 18 | 下郷(8・26) | 松子 |
3 | 井上金太郎(頼雄) | 松子館農兵 | 慶応4・9・5 | 21 | 会津若松 | 下瀬縫 |
4 | 阿久津広之助(義助) | 黒羽藩軍夫 | 慶応4・9・5 | 40 | 会津若松 | 寄居 |
5 | 松本忠左衛門(金吉) | 黒羽藩軍夫 | 慶応4・9・5 | 31 | 会津若松 | 寄居 |
6 | 相馬源太郎(正之) | 黒羽藩軍夫 | 慶応4・9・5 | 23 | 会津若松 | 小羽入 |
7 | 高久仙蔵(盛光) | 黒羽藩軍夫 | 慶応4・9・5 | 27 | 会津若松 | 狸久保 |
8 | 高根沢新助(勝成) | 黒羽藩軍夫 | 明治元9・18 | 31 | 若松(9・5) | 大沢 |
新政府軍戦死者の墓(官修墳墓明細帳には載っていない墓)
氏名 | 身分 | 戦死年月日 | 年齢 | 戦死(負傷)地 | 墓地 | |
1 | 川島又兵衛(経道) | 芦野氏士 | 慶応4・7・14 | 盤城石川 | 芦野 | |
2 | 柘植善太夫 | 忍藩士 | 白河 | 芦野 | ||
3 | 塙祐七(藤原好孝) | 阿波藩士 | 慶応4・8・3 | 芦野 |
名 称 | 官修墳墓(かんしゅうふんぼ) |
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所 在 地 | 那須町内 |
種 別 | 有形文化財/歴史史料 |
指 定 | |
指定年月日 |