半俵の寒念仏
頼朝の追討を逃れて奥州へ下る義経、弁慶など主従12名が一夜阿久戸の岩穴に明かした縁で、その霊を弔うために生まれた。戦国時代に一時中絶したが、江戸初期に再興して今に伝わる。現在では悪疫防除、五穀豊穣、家内安全、福徳招来等の祈願をこめ、寒の入り(1月5日)と夏土用(7月19日)に愛宕神社に奉納される。
寒念仏は、上半俵、下半俵、蕪中、阿久戸の講中で昔から居住する24戸の当主に伝承され、分家や他所からの移住者は含まれない。講中の男子は誰でもこれを習得しなければならない。33年ごとに行う大供養のときに後継者に伝承し養成し、次の大供養までそれらが演技するとされている。通常の構成は、笛(2人)、念仏申し(2以上)、柳付き(ちょんまげをつけ先端に鳥をつけた花まといを持ち腰に刀)1人、なりふり(ちょんまげをつけて手になりふりと扇子)2人、鉦打(女装し冠をつけ念仏鉦を持つ)2人、太鼓(義経の冠をつけ腰太鼓)1人、太鼓(弁慶の冠をつけ腰太鼓)1人、六堂(同型の冠をつける)6人である。
柳付き、なりふり、鉦打等の着物は、江戸時代のものが引継ぎされている。
舞は、笛、念仏申しの横一列に並び向かい合せに、縦列に柳付き(通常の舞は、刀だけ使用)、なりふり、鉦打、太鼓が続く。六堂は舞の外側で終わりまで立っている。笛、念仏申しにあわせて、なりふりの踊り、鉦打が体をよじりながら鉦打し、義経と弁慶の小さい人形の冠をつけた2人が、腰太鼓を打ちながら左右に廻ったり飛んだり跳ねたりして続く。初めは縦に並んで進み、後に輪を画くように丸くなり舞い、柳付きは、刀を両手に持ち踊りの周囲をゆっくりと廻る。演技は前奏曲「渡り拍子」「入りちがい」に始まり、念仏は「光明遍照」「あげ念仏」「歌念仏」「願以此功徳文」続き「岡崎」「庭まわり」で終わる。
動きの激しい歌念仏が最高の見せ場となる。寒の入りには、3庭、夏土用には2庭を舞う。
名 称 | 半俵の寒念仏 |
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所 在 地 | 那須町大字高久乙(半俵) |
種 別 | 無形民族文化財 |
指 定 | |
指定年月日 | 平成元年8月25日 |