一ツ樅の獅子舞

おこりは明らかではないが、明和5年(1768)の太鼓の皮張の記録があることから少なくとも、大沢その他の獅子舞と同じくそれ以前江戸時代初期と思われる。集落では、必ず会に加入することになっており、学校卒業後は、親と交代に加入する。後継者がいない場合は、後まで残り50歳を限りに自然退会となる。希望があれば、新地区民の加入も認める。現在は、27戸のうち17人で継承している。

獅子舞は、3月17日の馬頭観音様、9月1日の御富士山(浅間様)、9月19日の鎮守様にそれぞれ奉納されている。これらは家内安全、五穀豊穣、馬の安全、火伏せなどの祈願をするものである。

昔は農耕の中心であった馬の安全を願い春の馬頭観世音緑日は盛大であったといわれている。獅子舞の諸用具は、専用の収納庫(以前は年番の宿)に保存管理している。舞の構成は、牡獅子が2人、牝獅子が1人、歌4~5人(限定なし)、笛2~3人(限定なし)である。獅子舞は、獅子衣装に腰太鼓をつけ笛や歌にあわせて舞う。火ばさみ流、ささら荒神などと呼ばれ動きが活発で荒々しいく踊りの輪も大きい。3月17日の獅子舞は、不動様で獅子の支度を行い、前庭で「舞え出し」を舞う。そこから観音様へ道中笛にあわせ、獅子は腰太鼓を叩きながら進む。前庭に並んだ3匹の獅子がいっせいに進み、笛にあわせ「舞え出し」を舞う。「四方かため」「こらほど」「山廻り」「まりこめ」があり、おおよそ40分かかる。3月17日縁日の夜だけ演じられる「関もりのうた」がある。3匹の獅子の前で、すりこぎ棒を持ちヒョットコ面をつけた男形、女形とがセクシアルな演技をし、その周りには笹振りの男性が笹を振り絡むようにまわりつく。このしぐさに観客は大笑となる。「やれやれ」道化と言われている。舞が終わると、帰り笛により観音様より不動様に戻る。祭りの他に、池田地区の収穫感謝祭等に披露されている。

名   称 一ツ樅の獅子舞
所 在 地 那須町大字高久丙(一ツ樅)
種   別 無形民族文化財
指   定
指定年月日 昭和53年4月1日