門場縄文式遺跡(かどばじょうもんしきいせき)

標高410m、大島本村に位置し、余笹川右岸の低い台地にある。縄文時代中期(約5000年前)から晩期(約3000年前)までの土器片や石器類の遺物がみられ、約2haに及ぶ集落遺跡である。

この遺跡は東大人類学教室や県文化財調査報告の資料にも記され古くから知られていたが、昭和46年渡辺龍端氏等によって発掘調査され、6つの住居跡や土擴の遺跡が発見された。他にも多数の土器片や石器類が出土している。土器片には縄文中期の阿玉台・加曽利E式、同じく後期の堀之内式等がある。石器には石鏃(せきぞく)・打製石斧(だせいせきふ)・磨製石斧(ませいせきふ)・石匕(せきひ)・石錘(せきすい)・敲石(たたきいし)・多孔凹石(たこうくぼみいし)・石臼(いしうす)・石皿(いしざら)等が収集されている。これらの発見遺物の多種多量さや遺跡の大きさ、それに那須野ヶ原の北限に近いという分布上からもたいへん重要である。これらの発掘資料は県の博物館に保存されている。

那須町には、7000~6000年間の長い期間にわたり、原始の人々の生活舞台になった縄文の遺跡や遺物の出土地が250ヵ所以上もある。これは全国的にみても稀であるという。那須町の地は、すでに縄文時代の昔から人間の居住に適した自然環境を有していたことになる。門場遺跡はその代表の一つである。

名   称 門場縄文式遺跡(かどばじょうもんしきいせき)
所 在 地 那須町大字大島313他
種   別 記念物/史跡
指   定
指定年月日 昭和35年10月15日