遊行柳(ゆぎょうやなぎ)

この柳は奥羽に連なる山なみの間、芦野の町並みや芦野氏陣屋跡が見える水田の中にあり、周りを芦野石の玉垣でめぐらしてある。所在地は、芦野の町並みの北西、国道294号(旧奥州道中)沿いの通称「上(かみ)の宮」と呼ばれている温泉神社参道の鳥居前である。

「遊行柳」の呼び名の他に、「道の(みち)辺(べ)の柳」、「清水流るるの柳」、「朽(く)ち木(き)の柳」、「枯れ木の柳」などとも書かれている。その起こりは、平安時代の西行法師が奥州を旅する途中、この地で、

「道の辺(べ)に清水流るる柳蔭(やなぎかげ)

しばしとてこそ立ち止まりつれ」

と詠んだことによるというが、確かではない。また、時宗19代尊酷上人(そんこくしょうにん)(遊行上人)が室町時代の文明3年(1471)頃、この地方を教化のために旅したとき柳の精が老翁となって現れ、上人に成仏させらてもらいその喜びに

「草も木も洩れぬ御法の声聞けば

朽ちはてぬべき後もたのもし」

と詠んで消え失せたという伝説がある。他に柳の精は女性であるとの話もある。

これらの話をもとに観世光信(かんぜみつのぶ)によって謡曲「遊行柳」が作られて、より伝説が広がり歌枕にもなる名所になっていった。そして江戸時代元禄(げんろく)二年(1689)、俳聖松尾芭蕉が訪れ「おくのほそ道」に記述されるに及んで一躍有名になった。

この地で詠まれた歌や俳句は数しれない。この柳の傍らに西行、芭蕉、蕪村の歌碑、句碑が建てられており、今なお訪れる人々が多い。

「今はまた流れは同じ柳蔭

ゆき迷いなば道しるべせよ」

蒲生 氏郷(がもう うじさと)

「田一枚植えて立ち去る柳かな」

松尾 芭蕉

「柳散清水涸石處々」(やなぎちりしみずかれいしところどころ)

与謝 蕪村

 

 

名   称 遊行柳(ゆぎょうやなぎ)
所 在 地 那須町大字芦野2530
種   別 記念物/史跡
指   定
指定年月日 昭和35年10月15日