芭蕉翁塚 杜鵑の墓(ばしょうおうづか とけんのはか)
国道四号線沿いの高久本郷、高久家の裏山である
この碑を建てたのは、高久村名主(兼問屋)の五世高久覚左エ門の孫清楓である。俳聖松尾芭蕉の滞在を記念し、芭蕉と高久家のつながりを後世に伝えるために宝暦4年(1754)に建てられた。「芭蕉庵桃青君(ばしょうあんとうせいくん)の碑(ひ)」とも、その時に俳句を埋めたので「杜鵑(とけん)(ほととぎす)の墓」とも称される。
芭蕉は元禄2年(1689)4月16日、門人曽良とともに黒羽からここ高久に来て名主覚左エ門方に泊まった。翌17日も雨のため泊り、18日殺生石を見ようと那須湯本へと向かった。曽良日記には、「落ちくるやたかくの宿の時鳥 翁(ほととぎす おきな)」と認(したた)め覚左エ門に授けたとある。
碑は安山岩を用い、上は切妻屋根の形で正面には「芭蕉庵桃青君之碑」と縦に刻字されている。碑に向かって右側面には、芭蕉の生い立ちや人柄、そして元禄2年に曽良とともに高久覚左エ門宅に投宿したこと等が記されている。裏面には、芭蕉翁の没年、埋葬地等が記されている。左側面には次の句が刻まれているが、それぞれ風蝕がひどく判読は難しい。しかし、芭蕉研究上たいへん重要である。
落ちくるや高久の宿の郭公(ほととぎす)
風 蘿 坊
木の間を覗く短夜の雨
曽 良
元禄2年盛夏
名 称 | 芭蕉翁塚 杜鵑の墓(ばしょうおうづか とけんのはか) |
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所 在 地 | 那須町大字高久甲878-1 |
種 別 | 記念物/史跡 |
指 定 | |
指定年月日 | 昭和35年10月15日 |