稲沢氏居館跡(いなざわしきょかんあと)

国道294号線沿いの稲沢集落最北部にあって、地元では「土手(どて)の内(うち)」とか「堀之内(ほりのうち)」と呼んでいる。鎌倉時代に、稲沢五郎資家(すけいえ)に始まる稲沢氏一族の居館跡である。

資家は、那須家の分家で伊王野氏の祖である次郎資長(すけなが)の弟であり、父頼資(よりすけ)は余一宗隆(むねたか)の異母弟にあたる。資家がこの地に居を構えた年代は不確かであるが、兄資長の伊王野居館構築が、約800年前とされていることから、この時代とはあまり差がない鎌倉時代前期の構築といえる。

居館の西側は、自然の川を利用して、北・東南に堀を巡らして、その内側に土塁を築き南方が正面としたものでる。更に北側には、東西に延びる小規模な土塁を築いて二重にしている。これらの土塁は、今では東側の一部と北側に僅かに残っている。掘跡は、北側に水田として形跡だけが残っている。

この居館は、那須一族の北方の軍事拠点として、鎌倉時代から江戸時代初期まで使用された。兄、次郎資長の伊王野氏・弟、六郎資成(すけなが)を祖とする川田氏と共に北那須の地で活躍を続けた。

名   称 稲沢氏居館跡(いなざわしきょかんあと)
所 在 地 那須町大字稲沢498他
種   別 記念物/史跡
指   定
指定年月日 昭和37年10月15日