刑部郭跡

刑部郭は、芦野唐木田の裏山、芦野氏旧墳墓裏手にある。

由来は定かではないが、その麓に屋敷跡が残っている芦野家の重臣、室越氏の要害であると考えられている。

この郭跡は、室町時代後期の頃の構築とみられるが、麓にある室越氏の居館と考え併せれば、あるいはそれ以前に要害として利用されていたと考えられる。

ここは、後に芦野氏陣屋が構築される丘陵の一支丘突端の急傾斜上に位置し、北が山続きで他三方は水田に囲まれ、また館山城とは東西呼応する位置にある。おそらく芦野谷を切断する機能と目的のために古くから要害(支城)として構築されていただろうと推定される。

すぐ南に「竹の花」の地名が残り、また麓の居館跡は「改訂版那須国造碑考」によると、『かつては二十間(36.36m)に三十間(54.54m)、高さ四尺(1.25m)の土塁をめぐらしていた。(明治の終わり頃平地削平した)』とのことからも、古くから軍事的に重要視された場所であることが想像できる。

名   称 刑部郭跡
所 在 地 那須町大字芦野1083-4他
種   別 記念物/史跡
指   定
指定年月日