鮎瀬氏居館跡

鮎瀬氏居館跡は、伊王野の西南、黒川と三蔵川の合流点内側、字大秋津と呼ばれる所にある。この地域は釈迦堂山丘陵の最南端突出部にあり、合流点外側おり比高6~7mの崖上に独立地形をなしている。

この居館は、伊王野氏の重臣鮎瀬氏の構築であり、上記の地の利を利用して構築されている。すなわち西と南は黒川と三蔵川の川崖。山続きの北から東は空堀を堀切り、その内側に土塁を築いて切断している。単郭形式の居館で、堀外縁を含む面積約30aあり、従来長者平居館と呼ばれている。

居館の主人公である鮎瀬氏は、永正年間(1504~1521)頃から簗瀬氏・沼井氏らと共に諸記に登場している。系図によると小山氏より出た長沼氏の系統で、応永2年(1395)皆川義宗が都賀郡皆川館より那須家を頼り、鮎瀬村(大田原市寒井字鮎瀬)に住して在名をもって鮎瀬氏と称したとある。やがて次代の義顕が伊王野氏の家臣となり、伊王野に移り住んだといい、この居館を構築したと考えられる。

同氏は、江戸初期の住家断絶後伊王野城の大手口に移住するまで、ここを拠点に伊王野氏住臣として活躍した。

名   称 鮎瀬氏居館跡
所 在 地 那須町大字伊王野300-1他
種   別 記念物/史跡
指   定
指定年月日