弓落の神楽
天明3年(1783)浅間山の大噴火や関東地方の水害、気候不順により凶作が同7年(1790)まで続いた。これにより各地区とも食糧不足、疫病による死者が続出し、村を捨てる人もあり江戸時代始まって以来の大飢饉といわれた。当集落も被害が甚大で絶滅するのではとのことから、村人相謀(あいはか)り神仏のご加護を願うことにした。不動尊(堂宇棟に文政12年(1829)改築の墨書)を祀り、また会津より神楽を求め神楽舞を奉じて無病息災、五穀豊穣を祈念したのがおこりと伝えられている。戊辰戦争で弓落の全戸が焼き払いにあったが、縁居の老婆が炎上する家から持ち出して焼失をまぬかれたという。明治になり神楽も盛んになり那須地方はもとより福島県、茨城県へも祈念に歩いた。昭和7年(1932)晩翠橋開通式に、最近ではりんどう湖湖水祭、高福寺落慶式等に神楽を奉納した。
神楽は、集落の本戸7戸により伝承されている。毎年不動尊の縁日旧1月28日、秋旧9月28日の2回行われた。現在は、1月28日1回になった。当日、公民館で道具等準備し支度をととのえて、午後不動さまに神楽舞を奉納し、ついで集落内全戸、事業所を廻ってお祓いをする。舞の構成は、獅子2人、笛1~3人、太鼓(おおど)1人、鉦1人である。悪魔はらいは、1人舞で手に幣束、神楽鈴(以前はさんぎりを用いた)を持ち舞う。神棚のある座敷や襖、障子の開いている座敷でお祓いをする。以前は、最後に宿で長獅子(神楽とオカメ、ヒョットコ舞)を行った。近年舞台では、1人~2人舞で四方かため、つるぎの舞を行うこともある。
名 称 | 弓落の神楽 |
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所 在 地 | 那須町大字高久甲(弓落) |
種 別 | 無形民族文化財 |
指 定 | |
指定年月日 |