有形文化財/建造物

黒川発電所膳棚水路橋

黒川発電所膳棚(ぜんだな)水路橋は、東京電力株式会社の前身である塩那電気株式会社が、大正10年(1921)、那須町大字稲沢地内に黒川発電所の導水路水路橋として建設したものである。

黒川取水堰(大秋津)と経由地・余笹川取水堰の2つの取水堰から取水し、延長5.1㎞の導水路を経て、舟戸の黒川発電所において、1,074kwの発電を行っている。

導水路は、山間部を通るため、大部分がトンネル(隧道)(ずいどう)であるが、稲沢区間は平地のため、地上より高さ約4.5mの位置に水路橋を設けている。橋脚は3本のコンクリート橋脚にX(エックス)形の筋違いの入った特殊な鉄筋コンクリートラーメン構造である。

明治維新後、日本の近代化によって外国技術が導入され、新しい建築構造物が建設されたが、時代の変遷と共に老朽化が進み、現在も稼働しているものは数が少ない。国はこれら近代化への象徴といえる建築構造物を「近代化遺産」として保存保護している。

JR東北本線黒川陸橋

黒川橋梁上り線は、東北本線の豊原駅と白坂駅間、栃木県と福島県境を流れる黒川に、大正9年に架けられた橋長342.8mの上路プラットトラス橋である。

東北本線は、明治19年に宇都宮―郡山間が着工、同年10月宇都宮―那須(現西那須野)間が開業、同12月には那須―黒磯間が開通、黒磯駅が開業。明治20年、黒磯―白河間が開通、豊原駅開業。明治24年9月、黒田原駅が開業した。

この路線は、旧線と呼ばれ、福島県下黒川―水原―成沢―追田原―石住-水塩大久保―黒田原駅の路線であった。

黒川橋梁は、大正9年の路線切り替えに伴い架橋されたもので、旧東北線路の上を跨ぐ形で造られたものである。表面をレンガで覆った鉄筋コンクリート造り、背の高い長方形の重量感のある橋梁の上に、7連の鋼プラットトラス橋(上路)を載せる形で造られたもので、景観的にすばらしいものがある。平成10年8月、那須地方を襲った大水害により、旧黒川橋の橋台や橋脚が流されたことから、災害復旧工事と合わせ、流されたレンガを集めた橋台のモニュメントが旧路線の線上に建てられている。

大正9年の路線変更による遺産は、現在の路線に残されている。余笹川に架かる鉄橋や洞門もこのときのものである。